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レポートにおける客観性とは|文章表現を変えただけでは客観的にはならない

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自分が過去に書いたレポートを振り返ってみてください。レポートでこのような言葉や文章をつかっている人はいないでしょうか。

「今回学んだことを活かして、これからさらに勉強に励みたいと思う。」
「~してよかった」
「~は大きい」
「~のほうがきれいな形状をしている」

実は、これらすべてレポートでは好ましくない表現です。なぜなら客観性のある表現ではないからです。

「は?キャッカンセイ?キャッカンセイとはなんぞや?」

という方もいることでしょう。

答えをさきにいうと、以下の二点をかねそなえた文章が客観的だと言えます。

客観性のある文章とは、だれもが同じイメージをできる文章である

客観性のある文書とは、だれからも信用される文章である

つまり、小説のように人によって感じ方が違う文章ではいけないし、「それって本当?」と疑われる文章でもいけないということです。

さあ、では具体的にどうすれば客観性のある文章になるのでしょうか。どこをどう意識して書けばよいのでしょうか。具体的な書き方をお教えします。

レポートに自分の感想は要らない

客観性を語る前に、そもそものことを話しておきます。

レポートに自分の感想は要りません。

レポートはおのおのが「感想を言い合う場」ではなく、「世の中をよりよくするために議論をする場」だからです。例えば、戦争について議論するときに、

「戦争によって人々が殺しあうのは心が苦しい」
「他国の領土を奪おうとする国がよくないと思う」

というふうに戦争に対するキモチをぶつけあっていても、なにも解決しないでしょう。それよりも大事なのは、

「どうやって戦争を未然に防ぐか」
「戦争による被害を最小限に抑えるためにどうすべきか」

ではないでしょうか。冷静に判断をする場合は、感情を排除したほうが建設的な話し合いができます。議論に個人的な感情は要りません。

したがって、小・中学校で学んできた感想文の書き方というのは、大学では使いません。よくある例として挙げると、

  • 最後はとりあえず、ポジティブなことを言っとけばいい
    学んだことを活かして、これからもっと勉強を頑張りたいと思います。
  • 字数稼ぎのために、いろんな話題にふれて感想を述べていく
    走れメロスを読んで、いきなりメロスは激怒したから始まったので驚いた。また、メロスはセリヌンティウスを助けるためにボロボロになりながら走っていたのが印象的だった。処刑されるまえに間に合ってよかったと思った。

などなど。

このような書き方は全部忘れてしまってください。大学のレポートでは「あなたがどう思っているか」なぞ求められていません。

「うれしい」
「よかった」
「良いと思う」

とだけ書いても、「それがどうした」と言われるのがオチです。自分の思ったことは要りません。

ここでは、議論をする際に感想はいらないという話をしましたが、この一連の説明をきいただけでは、

「そもそも、なぜレポートでは議論をする必要があるのか」

と疑問に思われた方もいるやもしれません。

その答えをひとことで答えると、大学では「学問」に対する考え方が高校までと異なるからです。

くわしく話すと長くなりますので、なぜか知りたい方は大学におけるレポートとはの記事をご覧ください。レポートに「客観性」が必要とされる理由が分かると思います。

大学におけるレポートとは|誰もが納得する文章であることが重要だ

客観性のある文章とは、だれもが同じイメージをできる文章である

では、ここからが本題です。

客観性のある文章とは、だれが読んでも、同じようにイメージできる文章のことです。だれが読んでも、です。

ことばだけで説明されても理解するのが難しいと思いますので、冒頭にあげた「大きい」という言葉を例にあげて説明します。

「大きなアリがいる」

と書かれていたら、あなたはどのくらいのサイズ感を想像しますか。

大きいといってもせいぜい5mm程度だと思う人もいれば、人よりも大きなアリを想像する人もいるかもしれません。

このように「大きい」という表現は、人によって感覚が異なります。だれが読んでも同じようにイメージすることができません。

つまり「大きい」は客観的な表現ではないといえます。

ではこういうとき、どう表現すればいいのか。ここまで答えようと思います。

「大きい」や「小さい」など人によって感じ方が違うことばを使う場合は、二点のテクニックを意識すればよいです。

数字をつかうこと

比較をすること

実際に例をあげてみます。アリの大きさを数字で表現してあげると、

「体長が5mmの大きなアリ」

こうなります。アリの大きさを比較してあげると、

「アリはゾウよりも小さい」

となります。これらはだれが読んでも認識が一致するので、客観的だといえます。

このように比較と数字は、主観的な文章を客観的に変換するときにすこぶる役立ちます。

これらのテクニックをレポートでは、こういうふうに使います。

「実験結果からアフリカゾウの体長は平均7mであった。アルゼンチンアリの体長は平均2.5mmであった。アフリカゾウはアルゼンチンアリよりも大きいといえる。」

かなり鮮明に大きさがイメージできるようになったのではないでしょうか。これが客観性というものです。

ただ注意が必要なのは、「大きい」はレポートで使えますが、「美しい」「きれい」というような表現は使えないということです。比較したとしても、です。

「この人よりあの人のほうがきれい」

といっても「それはお前だけの感覚だろ。ワシはそうは思わん!」といわれてしまうでしょう。むりやりにでも客観的に示したいというのなら、

「この人はあの人よりも、顔のしわが少ない」

というようにして、「きれい」という表現はあきらめるしかないでしょう。

客観性のある文章とは、だれからも信用される文章である

客観性のある文章とは、だれからも信用される文章のことです。

逆にいえば、

「は?何を根拠にそんなこと言ってんの?」
「なんでそういえるの?」
「嘘言ってるんじゃないの?」

といわれないような文章だということです。自分の意見が疑われてはいけません。

では、疑われないようにするには、具体的にどうしたらよいのでしょうか。

その答えは根拠を示すことです。

例をあげて説明します。推理小説を思い浮かべてください。あなたはAとBのどちらを信用しますか。

A:俺は犯人じゃない!絶対に違う!

B:俺は犯人じゃない!カメラに写っているのが証拠だ。

Aは感情に訴えている。Bは証拠をもって冷静に証明している。

信用するならBにきまっています。きちんとした証拠が事実としてのこっているからです。

Aのように感情的に訴えると一部の人は心を打たれるやもしれませんが、言っていることはウソっぱちやもしれません。全員がその言葉を信じることはない。

だから、肝要なのは「事実をもとに意見をのべること」です。

ただ、ときには事実をのべることができない場合もあるやもしれません。その場合、有効なのは「他者の意見を提示する」という方法です。

A:俺は犯人じゃない!絶対に違う!

B:俺は犯人じゃない!証拠はないが、「犯行現場とちがう場所にいた」と証言してくれる証人がいる。

事実がなければ、Bのように他者がその証明をしてくれるといわれると信用できます。

このように、「証拠」や「他者の意見」を引用することで信用させていく、というのがレポートの書き方です。

で、さらに細かくいうと、証拠は証拠でも「信用のできる証拠」でなくてはならないし、意見は意見でも「信用のできる他者の意見」でなくてはなりません。

A:カメラに写っているのが証拠だ。このカメラのデータは改ざんされているかもしれないが。

B:カメラに写っているのが証拠だ。このカメラのデータは改ざんされていない。

A:「犯行現場とちがう場所にいた」と証言してくれる証人がいる。その証人は知り合いだ。

B:「犯行現場とちがう場所にいた」と証言してくれる証人がいる。その証人はあかの他人だ。

カメラのデータが偽データだと信用できません。証人がグルの可能性があれば信用できないでしょう。証拠も意見も信用できるかが大事です。

このようにレポートでも「信用できる証拠・他者の意見」が必要です。

以上のように、信用される文章を書くためには、

事実をもとに意見をのべること

他者の意見を引用して、意見をのべること

この二点が重要です。

そして、事実と他者の意見は信用できるものでなくてはいけません。だれがどこで調査したデータなのか。だれがどこでで言った理論なのか。それらが分からないと信用してもらえません。

だれがどこで、ときいてお気づきの方もいるでしょうか。

そう。「だれがどこで」を書くのが、あの、「参考文献」です。

データや意見を引用する場合は、「参考文献」にしるすこと

「なぜ参考文献を書かねばならぬのか⁉」

と、いらだちをふつふつとさせていた方もいるでしょうが、これで解決したでしょう。レポートに、引用や参考文献というのは必須なのです。

ここでは抽象的に説明しましたが、さらに具体的に書いた記事があります。くわしく知りたい方は、引用なしのレポートではダメな理由参考文献なしのレポートではダメな理由をどうぞ。

引用なしのレポートではダメな理由|参考文献リストを書いただけで満足してはいけない 参考文献なしのレポートではダメな理由|客観的な文章にするには文献が必要である

一人称「私」を使うのを避ける

最後に、客観的にみせるための小ワザをお教えしましょう。

レポートでは、一人称「私」を使うのを避けてください。

「私は~」と書いてしまうと、主体が「私」になってしまいます。読んでいる人にとって「私」はそこまで強調する必要ありません。論文などをみても「私」を使っている文章はほとんど見かけないと思います。

ただ、そうは言われても、今まで書いてきた癖は抜けないという人もいるでしょう。どうやっても、

「私は~と考える」

という文になってしまうという人、多いはずです。「私」を避けようとするあまり、違和感のある文章になってしまったという人もいるでしょう。

そういう方に意識してほしいことがあります。それは、

主語をモノや抽象語に変える

ということです。

たとえば、

「本レポートでは~を述べる」
「〇〇のメリットは~であると考えられる」

といったように。

このように、一人称を使わずにレポートが書けるようになると、様になった文章に仕上がります。

さらにくわしいテクニックを知りたいかたは、レポートの一人称の記事をご覧ください。

レポートの一人称|自分のことを「私」と表現してよいのか

まとめ

レポートでは、「客観性」という言葉の意味を見誤っていはいけません。

読者の中には、すこしでも客観的な文章にするために、通常は「思う」「感じる」と書くところを、「考えられる」に変えている、という方もいるでしょう。

しかし残念ながら、それは文章表現をかえて客観的っぽくみせているだけで、あまり意味のない行為です。語尾を言い換えただけでは、文章の内容はすこしも客観的になりません。

本当に大事なのは以下の二点です。

数字や比較をして、だれもが同じイメージをできる文章にすること

信ぴょう性のあるデータや意見をしめして、だれからも信用される文章にすること

これらを頭の片隅において、どうやって表現するか、どうやって意見をのべるかを考えてください。

そうすれば、今よりもはるかにマシな文章ができあがると思います。